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美女丸伝説ゆかりの<br>小童寺

美女丸伝説ゆかりの
小童寺

清和源氏の祖とされる源満仲公。現在の多田神社を築きました。今回訪れた「小童寺」には、満仲公の子「美女丸」にまつわる逸話が残っています。

奔放だった美女丸

満仲公は美女丸を僧侶にさせようと、修行に加え、和歌や管弦を学ばせるため、中山寺へ預けました。しかし、美女丸は気ままな生活をしていたそうです。
ある日満仲公が修行の成果を尋ねるため、美女丸を呼び寄せたところ、和歌や管弦は身についておらず、経文さえ読めなかったのです。満仲は憤怒し、家臣の藤原仲光に対し、美女丸の首を切るよう命じました。

身代わりとなった幸寿丸

「若君を手にかけることはできない」と、困り果てた仲光の姿を見て、息子の幸寿丸が「私が身代わりになります」と進言したそうです。仲光は幸寿丸の首を打ち、美女丸を比叡山へと密かに送り出しました。
美女丸は、それまでの自分の行いを悔い改め、修行に励みました。後に名僧「源賢僧都」となった美女丸は、弔いのため、西畦野に小童寺を建立したとのことです。

西畦野1丁目の交差点を西に進むと、坂の中腹に階段が見えてきます

秋には落葉し、階段に赤い絨毯が敷かれたようになるそうです

階段からは西畦野の景色が一望。右に見えるのは新名神高速道路

静閑な空気が漂う境内