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高架化された<br>開かずの踏切

高架化された
開かずの踏切

@川西能勢口駅付近

1954年の発足当初3万人ほどだった川西市の人口。1960年代以降の宅地開発により、1970年代には人口10万人を超えました。
人口急増に伴い、通勤・通学時の電鉄や道路の混雑率も上昇し、能勢電鉄は乗車率は約160パーセント、道路混雑率は約200パーセントにものぼりました。

特に現阪急・能勢電鉄「川西能勢口駅」周辺の混雑状況は大きな課題となり、現川西篠山線と阪急・能勢電鉄の交差の踏切は「開かずの踏切」と呼ばれました。一日のうち、8時間は遮断されていたとされ、ラッシュ時は踏切を抜けるのに30〜40分はかかったそうです。


そうした状況を受け、川西市は駅周辺の再開発計画を策定。1989年には駅前再開発ビル「アステ川西」がオープンし、駅南Kデッキを含め、阪急・能勢電鉄共に高架化されました。現在の駅周辺の連続立体交差の完成です。

かわにし70年なつかしの写真展

https://www.city.kawanishi.hyogo.jp/shiseijoho/1007418/1017710/1017991/1018849.html